昭和47年6月5日 朝の御理解
中村良一
御理解 第96節
「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」
神が顔を洗うてやると仰る。神様から、顔を洗うてもらうという事は、神様から、顔を立てて頂くと言うことでしょうね。神様が顔を立てて下さるということになると、大変な、私は、ことだと思いますね。なるほど、神様じゃなぁと、それこそ、見上げずにはおられないほどしのおかげ。
ここの御造営の時に、ここの仕事があっておるか、あっていないか分からない様に、その仕事が、まぁ遅々として進まない。というて、毎日、お休み以外の日は、必ずあってましたよ。二年間も続きましたから。大体、あそこに、何が出来よるとじゃろうかと。あれは、金光様げなと。大体、建つとは建つとじゃろうか、出来るとは出来るとじゃろうかという様な評判が立っておったという事ですけれどね。実際に建ってしもうたら、やっぱ、どげんこげん、神様じゃなちて言う。そばへ言いよった人達が言うたということを、また聞きに聞いたんですけれどもね。神様は顔を立てて下さる、顔を洗うて下さるということは、大変なこと。本当に、神様のお働きのまにまに、例えば、進められたご建築でしたからね。無理がない。
昨日も、神愛会でございました。先生方ばっかりの会合なんです。それでまぁ、何のことからだったか、私、ここの初めの熊本でしたかね。熊本の井上組が、ここを受けあわれる行き札のことから。それから、仕事始めが、いよいよ、受け合わせて始まる頃、どうもその、仕事がおかしいんですね。やることすることが。一番初めは、あの、今、私共の住まいの奥の方から始まったんです。そこで、一遍その、熊本の方へ行って、どういうその所か見に行こうということになったんです。あれは、誰だったでしょうか。私と、当時の委員長の現信徒会長秋永、それから、高橋さんもでしたかね。それと誰だったでしょうか。三人でしたか。私ともに、そうでしたかね。まぁ、あちらへ着かせて頂いて、もうびっくりしたんですよ。もう庭には、古木を崩したような材木が、こう積んであるだけで、なーにもないとです。事務所というたら、もう本当に、名ばかりの事務所。まぁあちらで私は、ちょっと、お便所を借らせて頂いたら、とにかく、お便所に、扉が付いてない。大工さんの家ですよ。こりゃもう、私も、こりゃしもうたと、やっぱ思いましたですね。これは、御神意を頂いて、やったけれども。まぁ、幾らしもうたというたところで、神様から、御神意、御神命のままに、井上組になったんだから。それから、とうとう、主人は出て来ませんし。その当時、ここに緒方さんと言う、支配人格の人が居りましてから、まぁ料亭に案内して、ご飯でもよばれて帰ったんですけれども。どうも、ただ事ではないと。そこで、私は、ゆっくり、どこでか、ちょいとまぁ、当時の椛目に帰る迄にですね。ゆっくり、ちょいと頭を休めんならば、頭を休めるというか、御神意でもお伺いしなっければ。そして、はっきりした所を頂かなければね。こりゃもう椛目には帰られん様な気が致しました。それで、途中で、どっか、温泉、あそこを通りますからね、何とかという温泉。あそこへ寄って、一休みして行こうと。けども、そこを何とか通り抜けてしもうてから、ほんなら久留米でち言うてから、久留米で行ったら、そこもまた、ややこしい、そこも、いかがわしい所でしたから、びっくりして出て、けどももう、いよいよ椛目に近づくけれども、このまま椛目には帰られん。そこで、正樹さん方さん行こうと言うて、あの久富建設に寄せて貰いました。今は熊本の帰りだと言うて、もうとにかく疲れとるから、風呂を沸かしてくれ。そして風呂を沸かさせて、それから、ちょっと私は、頭を休めんならんからというから、直ぐ、あちらの家内が布団を敷いてくれました。それで、そうですね、一時間も休みましたでしょうか。御祈念をして。その御祈念をして休ませて頂いての、一時間ばっかり休んだうちにですね。神様からお知らせを頂いた。私は、その内容のことを、ちょっと忘れましいたけれども。もうとにかく、腹が据わった訳です。問題はね、腹が座りさえすれば、人がどんなに笑うても、一つも問題じゃないです。それからはもう、それこそ、中村さんじゃないけれども、わりわりするような心が生まれてきた訳です。だから、私の心の中に、そういう、いや、絶対に、やはり、井上でなからにゃいかんのだと。井上でなからにゃ出来んのだと。大体は、半年で出来る筈のが、ちょうど二年かかったんですからね、あん時。それでもう、どんなことであっても、どんな場合であっても、もう井上でなからなきゃならん。そして、二年後になってから、分からせて頂いたことはです。もう本当に、井上組でなからなければ、なるほど出来なかった。大きな組でも頼んどったら、当時、まぁ、新建材なんかで、例えて言うと、あの、ここは、布の、布で張る天井でした、お広前は。それから、ここは、あの何ち言うですか。何とかこう、何とかドアでしたよ。部屋をこうし切る、何とかドアと言うのがあるでしょう、あれでした。けども、信者さん方も、私共も、みんな一生懸命研究して行くうちに、こういう三段階になったり、あちらが、内殿が広くなったり、御簾ばっかりになったりと言う様になって、もう、誰が見に来ても、素晴らしいなぁと言われるくらいな御広前が出来た。
二三日前も、戸畑か、戸畑のなんか、神生会と言う。私共が、月参りを五十人ぐらいでさせて頂く時分に、もう神生会は二百名から御参りがあるという様な。やっぱ、金光様を拝みよるけれども、ちょっと可笑しいと言うので、教会になられんで、今日まであるところがある。そこの、今度は御造営があると言うので、そこの大工さんが、ここに見に行きましてね。もう、高橋さんが、ちょうどおられましたから、高橋さんが、本当に驚いてしもうて、どうしてこんな素晴らしい材料を使われたかと。もうとにかくあの、廊下なんかと言うものは、あれは、紫檀黒檀の次のあら材木ですよと。まぁどうして、あげん素晴らしいものを使って建築だったかと言うて、商売人の方がたまがられたという様なですね。段々、おかげを頂いて、まぁ客殿なんかも、あれは後から出来たものである。設計には無かったとこでした。というようにその、おかげを頂きましたがね。神様の、本当に、御都合と言うことはね、もう、さぁどうするかという様な、本当に、私がそれを感じたんですから。しかもその、煮え切らない相手の、その事やら、大工が腹立ててから、帰ったりしたりしましてね。けれども、その事が、きっとおかげになっとるです。もう裏の方ば、大体やってから。もういよいよ、こちらにかからんならんという時分に、その、一番棟梁が、何か腹かいてから、もう行かんち言うてから帰った。ところが、その人の弟さんになる人が、ちょっとどまぐれちから、その関西の方に出て行っとった。その間に、もうあちらでもう、それこそ、素晴らしい腕を磨いて、帰って来た。それで、それがここへ来た訳です。それが来てからの仕事が、もうみんなが、はぁこんだんとはよか、上手という、ここは、その大工が全部やりました。という様にですね、もう、起きてくることが、全部、あっちいう様な困ることが続きましたけれども。それが後から考えてみると、全部おかげでした。ところが、どういう様なことがあっても、はじめのかかりの時にです、どうしようかということがあったですけれども、こちらのどん腹が出来てますからね。もう絶対のおかげを頂くと、暇いるともおかげという頂き方で参りましたら、材料も段々、より良い材料が集まってくるようになり、職人さん達も、より良い職人さん達が集まってくるようになり。そして、ようやく、出来上がりました時には、なるほど、神様じゃなぁという様なおかげを頂いた訳です。ですからね、問題は、腹を決めておかなければならないという事です。どん腹決めなさいという事です。もう矢でも鉄砲でも持ってこいと、いわゆる、ままよという心なんです。
神のことを人が口端にかけるのも、神のひれいだと。その間、どういう様な、例えば、陰口を聞こうが、悪口を聞こうが、それは神様のごひれいだとして、頂ける所にです。神様の働きは、いよいよ、スムーズになってくる訳です。神様の働きが、スムーズにあっておるということはね。もう本当に、思う通りになりよる事じゃ、決してないということが分かります。ここにあります様に、世の人が、顔にかかわる様な事を言うても、腹を立てなと仰る。腹立てる段じゃない、神様の働きとして有難く、お礼が言えれるという状態。だからこの、九十六節というのは、大変に、私は、難しい御理解だと思いますね。腹を立てなと。もう腹を立てなければおられない。こりゃどうするかと思わにゃおられないような事に直面した時です。いわゆる、信心する者は、どのようなことがあっても、これから先、どのようなことが起こっても、驚いてはならんぞと仰る、それと同じ。どんな場合であっても、驚かんで済む。どんな場合であっても、ほんなら、そういう腹を立てんで済むということは、もうどん腹が決まっとる。腹が決まっとる。そして、ほんなら、ここの御造営のことを申しましたが、二年後に落成。そして、開教式といった様に、素晴らしいおかげになって参りましたら。なるほど神様じゃなと、人が見上げるようなおかげを頂いた。いわゆる、顔を洗うて下さった訳であります。顔を立てて下さった訳です。という時のおかげは、もう大変なこと。
だから、そういう時にですね、腹が決まることを、まず、願わなければいけないと思うですね。どんな問題でありましてもです。どんな問題をふんまえておってもです。それが、神様の働きと、大体、観念的に分かってる、ここで御理解を頂いておりますから。無駄なことはない、これは御事柄として頂かにゃならんと、先生は仰るけれども。とても、恩の字をつけちゃ頂けん様な事やら事態になってくるんです。そして、それを、向こうに押しやるような。どうでしょう、あの時に、私が、もうこりゃいかんばい。もう井上組は、いよいよいかんばい。とても、あれで出来る筈はないじゃないのと。とにかく、千万円以上の仕事はしたことないち言いよって、いわば、熊本では、便利大工的な、その建築屋だという様な事を聞いて来たんですよね。それが、あーた、これだけの事を、とても出来るもんかいと。これは、今のうち何とか切りをつけて、別に頼み直さじゃこてと言うとったら、とてもこんな出来ておりはしません。そん時に、私の腹が決まった。んにゃ、これは、何というても、井上組でなからにゃ出来んと腹が決まった。ほんなら、その後に於いても、様々なことがあった。大丈夫じゃろうかという様なことがあったけれどもです。その都度都度に、神様は、何とも言えんお繰り合わせを下さった。こらもう本当にですね、言うなら、ここんところが、全部こりゃあの、タイ檜ですよね。何かの時には、これをあの、井上組から、小倉かどっか、あちらに、九州中になかったんです。ところが、これだけが、海に浸かっとったちいう材木や、これだけ。そしてその後は、もう一遍に、倍にもなるといった様なおかげ頂いた。いよいよ、進展身が出来るという時になってです、これは、日田の竹野さんという、いわゆる、神社仏閣専門の大工さんなんです。御本部の御神殿を作った方なんです。もう不思議なご縁で、その人にやって貰うことになって、それからこっちは、竹野さん達がやって参ります。それはもう、チームワークのとれた見事な大工さん達でした。ところが、九州にこの、こちらはこの、タイ檜じゃないですよね。本備州檜です。いわゆる木曽檜です。それが、もちろん無いし、向こうに照会しても、現在は、備州檜が少なくなったから、もう出さないという方針だという事になったんです。たけ竹野さんは、もうどうでも日田の檜を使うと言われる訳、そんな訳で。ところが私は、日田の檜は、どうしても、その良くはあるけれども、御神殿には、私は不向きだと思う。言うのを、あの西久留米教会が、やっぱり、それでしたから、見てきて、私が、嫌い、いかんと思いましたから、どうでもこうでも、備州檜でなからにゃならんよということだったんです。他にないもんはどうするかと。ちょうど、大工さんが、皆打ち合わせすぉやってる時に、古賀さん、久留米の古賀さんも、委員でしたから、材木新聞の久留米支局長しておられますから。ちょうどね、一年ばっかり前に、名古屋の支局長がね、ここの前を晩に通った。ちょうど、何か、おかげですね。あそこは大体、何が出来るとですかと言うてその尋ね。あそこは、金光様の敷地だとこう言うたち。ほんなら、備州檜がいるだろうから、要るごたる時には、私が方に、電話を下さいち言うとったつを思いだしてですね。あの人が、電話をかけましたらですね。調べて貰ったら、ちょうど、ここの竹野さんが見積もっておられる内殿のこくそうだけあった。それだけあったんです。もう、それこそ、竹野さんも驚きました。私共も、何時もの事ながら、びっくり致しました。まだ、ここの事については、そういう様なおかげを、本当に頂いて参りましてね。もう、これが出来た訳ですけれども。とにかく、神様が、先頭に立ってなさる事だから、素晴らしい事ばっかりじゃ、決してないです。そういうおかげを頂く前にはです。もうこら、どうするかという様な所をです。やはり、どん腹据えてかからせて貰うて、それこそ、神様の御働きに間違いないのだから。恩事柄で頂こうという様な腹が出来ておらなければです。次の、そういう輝かしいおかげになってこないです。いうならば、その、どうするかという様なこと。いうならば、腹を立てなければおられないといった様な時ほど、だから、大事にしなければならないかと言うことが分かります。もう、これが、様々な問題、様々な事件。もう、昨日何かでも、昨日はもう一日ですね。もう半年ぶりにおかげを頂いた、一年ぶりにおかげを頂いたといった様なね。色々手の込んだ、そのお願があっとったのが、昨日は、一日で解決したとちいう様なおかげ日でしたね。例えばもう、何年、集金が出来なかったのが、昨日、向こうから持って来て貰ったといった様な連続でした。もうそれが、一つ一つが、手の込んだことに驚くくらいです。神様のご演出ちは驚いた。その間には、もうそれこそ、腹も立ててはおられんといった様な中を、お取次を頂いて、まぁ、それこそ、黙って治める、黙って治めるということの素晴らしいことは、昨日ですね、それこそまんじ巴になって、一つの事件ごと何かがあったんですけれども。そのみんながですね。その黙って治めるで、おかげ頂いとるのに驚くです。そして、いわゆる、神様の働きには、恐れ入ってしまうという様な、おかげになって現れておる。
ですから、そこんところをもう、腹を立てたり、先生はそげん仰るけれども、そんな訳にはいかん。ここで、いっちょ、言わにゃと言うとったら、そういうおかげになってこないとです。もう、いよいよ、いけんごたる状態じゃ。いよいよ、ここでいっちょ、手を打たにゃならんと言うごたる状態の中を、やはり、信心辛抱しぬいて、おかげを頂いて参りましたら。もう、あれもこれも、一ところに集めといて、みんなおかげにするといった様な働きでしたよ。もう、いうなら、敵も味方も、みんなおかげ頂いて、その敵も味方も、みんなお礼に出てくるちいう様なおかげでした、ここへ。それまでには、ずいぶん、腹も立った、それこそ、もう、幾ら神様にばっかり、あんたどんが参ってからと、神様の悪口まで聞かれた時もあったです。けれども、そこんところを頂き抜かせて頂いて、御事柄として受けて行き。黙って治めることに一生懸命おかげを頂いておられましたら、そういうおかげになってきた。 ですからもう、本当に、やはり、いよいよのところに、どん腹を据えなければならない。それが、問題がややこしければ、ややこしいほど、その問題が、大きい問題であればある程です。その問題を、一つ迎え撃つという、そのというかね。そういうどん腹が必要なんですね。矢でも鉄砲でも持って来いという。もうその間に、ぐずぐずしたら、おかげになっとってもです、いっちょん垢抜けせんおかげになるです。そして、神様の働きに恐れ入るという様なおかげになってこないです。その神様のおかげには、恐れ入るという様な、そのおかげを頂いてこそです。神様の、いよいよ、間違いなさといった様なものが、身についてくる訳ですね。それが、力になってくる訳なんです。いわゆる、神様が顔を洗うて下さるほどしのおかげを頂くということには、決して、簡単な事じゃない。そういう、実にややこしい問題やらも、その間には、沢山ある。けども、親先生がおっしゃっとられるとじゃから、こらもう、これはもう、おかげの砥石自体ばいと言うて、その、それをそういう頂き方でこらせて頂く。
昨日の、野口つぁんのところのおかげも、やっぱそうだった。壱岐の方から娘さん、御神意のまにまに、壱岐の方の仕事を終えて熊本へ来たが良いということであったから、熊本の方へ来られた。ところがどっこい、仕事が、ある筈のがなかった。それで、ここの、合楽の方で、八ヶ月間と昨日聞いた。八カ月じゃったそうです。私は、ちょっとの間、二カ月ぐらいじゃったろうかと思いよったら、八ヶ月間。もうその間、信心の薄い、いわゆる、町田さんあたりは、もうずいぶん、いらいらもすりゃ、もやもやもすりゃ、くーっとするといった様なこともあったけれども。どっこい、お母さんのどん腹が決まっとった。はぁ、間違いなかばい、もうこりゃ、おかげの飛び火したばい。ここは大事にせにゃいかんばいで、八ヶ月間。さぁ、そして、いよいよ、ふたを開けて、おかげになった時にはね。もう本当に、それは、そらいつかまた、詳しく、野口つぁんから体験発表がありましょうけれどもね。本当に、神様のお働きちは、恐れ入るのというようなおかげになってきてるです。だからその、どん腹が、どうしても決まらにゃいかんです、いよいよの時に。こりゃしもうたのう、親先生が、言いなさったばってんから、こりゃ、どげんどんなるの、まいっちょ、壱岐に帰るのちどん思うとったら、また、ほんなごて、壱岐帰っとったかも知れません。と言うような中にです、おかげ頂く。その間には、ずいぶん、ほんなら、神の事を口端にかける人達が、ずいぶん、あったろうと思います、八カ月の間に。またありました。お届けもありました、そのたんべんに。けれども、おかげばい。おかげへの砥石時代ばいと、もう私も、これ一点張りでした。それがまぁ、何ともかんとも言えんほどしにその、やはり、おかげになってきておるです。
ですから、皆さんでもです。どういう問題が、いわば、起きて参りましても、どういうややこしい事柄に、問題が突入して行きましてもです。もう、一切、神様の御都合なのですから、その時点、時点をです、腹を立てることなし、驚くことなし。それこそ、おかげへの砥石時代だと思うて、大事にしていく。ですから、私は、この九十六節というのは、本当に、難しいと思います。いよいよ、ほんなら、親先生を信じて疑わんというような信心が、日頃、出来ておらなければ、やり損なうと思う。本当に、合楽だからこそ、ここまで、その、親先生任せで着いてこらしたなと、私でも思うくらいです。昨日は、そういう、おかげを、一つずつ御話しすると、もう皆さんが、たまがられるぐらいなおかげですけれどもね。いやまぁ、お話に出来ませんけれどもです。
この頃から、古谷さんところの、百日祭の時に頂いた御理解でしたけれども。お互いがね、お魚でも、いうならば、身のとこばっかりが欲しいと思う。食べるとには、身のとこだけの方がよかですからね。そらしかし、食べるもんの立場でであって、その魚が、海で、川で、それこそ、びちびちとして、泳ぎ回る時には、身だけじゃ泳がれん。頭もなからなきゃ、骨もなからにゃならん。鰭も尻尾もなからにゃ出来んのです。ここで、神のひれいじゃと仰るのは、まぁ、魚の鰭の事から仰っておられるという事ですね。生きた魚の、あの鰭が、ピッピッピっとあの、魚が泳ぐ所を見てごらんなさいませ。鰭が立つでしょうが。鰭が立ってもう、こうびりびりする様な働きになってくる訳なんです。ですから、その神様の、びりびりする様な、ほんなら、鰭と鰭が立つ時にはです。そっれが、けっして、良か事ばっかりじゃない。要らんことなんだ。実際は、私共から言うたら、もう鰭は要らんのであって、身だけで良いのである。お願いしたなら、良かとこん、ほんなおかげばっかりば、こうやって、その選り取りしようごたるとが、おかげのように思うとるけれども。そういう素晴らしい、神様を信じて疑わんで済むほどしの、なるほど、その暁には、こう言うおかげを頂いたというおかげの中には、神様のひれいが、びりびりする働きが始まるのですから。その中には、私共が、あっと驚くほどしのです、例えば、事が起こることもあると。けれども、驚いちゃならん。もうそれこそ、顔から火の出るように恥ずかしい思いをしたり、腹の立つような思いをする様なこともあるけれども。腹を立てな、神が顔を洗うてやると仰る。神様が、顔を洗うて下さる時のおかげというものは、もう、あれよ、あれよという様なおかげなんです。ですから、信心させて頂く者は、よーく、ここんところを心掛けさせて頂いて、日頃ですね、信心の稽古を、しっかりさせて頂いとかんと、そこが頂き止められないです。分かっとるだけじゃ、そん時に、必ず驚くです。修行が出来とらんと、そん時に、必ず、腹が立つです。やはり、お徳を受けて行くためには、常日頃の信心が大事であって、いよいよ、お徳を受けるチャンス、力を受けるチャンスを頂く時にです、それを、他へ流してしまう。もう、鰭やら尻尾は要らんちいうごつなってくる。それでは、本当の、いわゆる、神様が願うておられるおかげにはなってこない。神様が、顔を立てて下さるほどしのおかげにはなってこないということをね。一つ、分からせて貰うとかにゃいかん。それは、けっして、見やすいことではない。例えば、それは、私ですら、あそこ、何時間かばっかりは、こら、いよいよ、いかんばい秋永先生ち言うた。何時間かいうたっです、私はあそこで。とても、こげんとが、あんた、出来る筈はなかばいち。はぁもう二人、後三人ながら、それこそ頭抱え込むごたったです、何時間かは。熊本から、善導寺まで帰ってくるまでは。そして、風呂ども入ってから、神様にお願いをして、いっとき、頭を休めようと思うて、休ませて頂いとる間に、お知らせを受けて腹が決まった。腹が決まったら、後はもう、いうならば、とんとん拍子という訳じゃないですけれども、今も申しましたように、二年間はかかりましたけれども。四倍もの、計画よりも長くかかりましたけれども。なるほど、かからなければならないほどしの、大きな働きというものが、その間にあっておった。
この頃も、筒井屋の光男さんが、ここの御造営の事、三和組の事でですね、もう大変悪い評判を聞いて来た。潰れるかも知れんち言う。福岡の支店の方は、もうみんな、従業員を、首にしますと仰ったという評判を聞いたからというお届けがありました。それから私は、神様に、はぁてな、ああげん神様から頂いて、もう本当に、この神さんばっかりは条件に合わん。もう、一番いかんごたっとに当たりなさるけんでと言うてから、話しながらですね、神様に、その事を御神意を伺わせて頂いたらね。女の月の物のありよる所を頂きました。そして、御理解にですね、血の涙が出るほどしだから、まだ、生み出す力があるのぞと頂いたです。ね。月の物がある、それこそ血の涙ですよ。血の涙が出るほどしの事だから、まぁだ、生み出す力があるのだから。例え、三和が地の涙の出るような難儀な問題にぶっつかってもね。三和は、絶対、まだ、次々と生み出すす働きを、内容に持っとる。心配する事は要らんという訳なんです。それで、そげなことを頂いたから、今、ここへ頂いたから、心配要らんよと言うて。もちろん、私の腹は、もちろん、決まってもおりましたけど、なお、そんな事を聞いても、びくともせんで済むようなお知らせを頂いて、いよいよ、腹が座る訳でございますけれどもね。だから、信心させて頂いておるとですたい。神様から、そうやって、ほんなら、心配要らんばいと、私が、ここで言うてもです。やはり、心配でたまらんという事では、おかげにならんのですからね。そん時に頂いたら、親先生が、あぁ言うて頂いたから、これで腹が決まったという様なおかげを頂いて貰わにゃ、次のおかげの展開になってこないのです。そこで、ほんなら、神様取次、そして皆さんと、日々がね、相まった信心させて頂いておかんと、いわゆる、どん腹でも座らんという事です。それこそ、どん腹据えて、信心をしなけりゃいけません。ことに、例えば、立ち向かう場合でもです。それこそ、どういう問題でも、御の字が付けられる。それをおかげにせねば止まんという信心が出来てこなければ、力も受けられなければ、徳も受けられません。ただ、そこんところを、しだごだ、心配のなりでおかげ頂いた分じゃ、おかげだけ。そこんところを、すきっと、どん腹据えて頂く所に、それが力にならん筈はない、徳にならない筈がない。
昨日も、その野口つぁんところの、お礼のお届けさせて貰いよったら、小さい、一升徳利を形に作った訳です。こんな小さい飾りのね。柳川の北原白秋のところの酒屋で使ったという徳利を、こんな飾り物の徳利に、棕櫚の縄をつけたのを、先日あの、高芝さんが、お土産に持って来て下さった。それを頂くんですよ。ですから、例えば、今度の、野口つぁんのところの場合は、その八ヶ月間の間にですね。それは、一升というほどしではない。けれども、まぁ一合五勺か二合ぐらい入るでしょうけれども、そのくらいなおかげになった、徳のもなったというお知らせなんです。徳ということは、ね、徳になった、利というのは、利益の利という事です。このことで、野口つぁんは、徳を受けられた、利を受けられた。だからその、徳と利とを一緒に備えて頂かせて頂けるような信心を、合楽では、何時も説いている訳です。ただ、おかげだけなら、皆さんに、こげん難しかこつ言わんで良かと思うです。けども、徳を受けなければ、人間の、本当の幸せはありえないと、私は確信するからね。お徳を受けなければと言うて、まぁ、お話をする訳でございます。どうぞ、徳利が一緒に頂けるようなおかげが頂きたい。どうぞ。